寺院について
天保山慧尊院道教真言宗総本山
線香護摩・鳴動釜・出張祈祷を執り行う、ひらかれた祈祷寺。葬祭や檀家を主務とせず、祈りそのものを本分とします。
道教真言宗総本山 天保山慧尊院は、線香護摩・鳴動釜・出張祈祷を執り行う祈祷寺です。葬祭や檀家を主務とせず、縁あって祈りを求める人へまっすぐ向き合います。寄付勧誘もいたしません。
ひらかれた密教
檀家に縛られず、金銭の不安なく、祈りそのものに専念できる場をつくる。それが道教真言宗総本山 天保山慧尊院の運営の基本です。その祈りを担う僧侶を、経験の有無を問わず一から育てています。
教育は、総本山で完結します
入門から伝法阿闍梨位まで、外部の道場に出ることなく、すべて総本山で一貫して修めます。得度式も道教真言宗総本山 天保山慧尊院でのみ執り行います。二十四種の線香護摩・鳴動釜・出張祈祷を、実地で受け継いでいただきます。
総本山で厳修する意義
なぜ、他のどこでもなく、総本山で修めるのか。
全国へ向かう者に、正しい知識と戒律を
ひとたび僧侶となれば、その身は全国各地へと向かいます。布教にあたる僧侶には、正しい知識と戒律が欠かせません。我流や聞きかじりではなく、古来より受け継がれた宗法を、正しく身につけていなければなりません。曖昧なまま人を導けば、導かれる側を迷わせることになるからです。
総本山に仕える者に、高度な作法と規律を
総本山に奉仕する職にある者には、さらに高度な知識と、高度な作法と、揺るがぬ規律が求められます。総本山は、教えの源であり、規範の中心です。そこに仕える者が乱れれば、全体が乱れます。
世俗を離れて、見えてくるもの
世俗を離れることには、意味があります。日々の暮らしの喧噪のなかでは、見えないもの、感じえないものがあります。古来から伝わる宗法を会得し、世間から一度身を引いて初めて、それまで見えなかったものが見えるようになります。
厳しさのなかに、仏の世界がある
厳しい環境に身を置くこともまた、意味があります。安楽のなかに、仏の世界はありません。己を律し、厳しさのただなかに身を置くことで、人は初めて仏の世界をその身に感じることができるでしょう。
人を導くということ
人を導くことは、たやすいことではありません。僧侶とは、ただ経を読む者ではなく、仏として人を癒し、人を導く者です。その重みに耐えうる知識と作法と心を、総本山での厳修によって養います。
安らぎの場を、各地に
道教真言宗総本山 天保山慧尊院は、各地に、忘れられた人の心が安らぎ、集える場所を提供します。そのための僧侶を育てる場が、総本山です。
総本山でしか得られないもの
ここには、総本山でしか得られないものがあります。印も、表に出ぬ真言も、法具の扱いも、そして仏の世界に触れる体験も――それは、この場に身を置いた者だけが受け取れるものです。
僧侶になった後こそ、大切に
資格を授けて終わりにはしません。葬儀の作法、回忌法要の作法、開眼の作法、各種法要の作法、各種護摩の作法――一人前の僧として人の前に立てるよう、僧侶になった後も、実務の作法をお伝えしていきます。